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プレスリリース

年商35億の宮崎ドリームはゴミ広いからはじまった!!(月刊パームス)

年商35億の宮崎ドリームはゴミひろいからはじまった!!
(パームス11月号掲載)

太陽放談 第32回ゲスト/
株式会社レジャークリエイトサービス
代表取締役会長 河野 信吉さん

Profile
河野 信吉(かわの のぶよし)
日南市出身、55歳。
日南工業高校卒業後、30代から独立心に燃え、太陽熱温水器販売やリサイクルショップなどを経営。
同時に飲食店経営にも進出。いわゆる“ラウンジ”というユニークな明朗会計サービスを宮崎で初めて確立させた。現在福岡市中洲にも進出しグループ12店舗を統括する。宮崎の所得番付ベスト10の常連でもある。趣味はトローリングとハンティング。座右の銘は「質実剛健」

                                                             



Q.所得番付ベスト10の常連、ラウンジ王の河野会長。宮崎ドリーム成功秘話こそ読者の興味の的ですが? どんな人生を歩んで来られたのですか?


A. 世間の人はそんな風に勝手にイメージされるのでしょうが、振り返ってみれば只懸命にその時そのときを生きてきただけなんです。決してかっこいい人生なんかじゃありませんよ!
生まれは日南の飫肥で、何故か幼い頃から海に憧れて育ちました。高校卒業して社会に出たころは、何処にでもいるチャランポランな若者でしたよ。仕事なんかよりも猪狩りや石鯛のスペアフィッシングに夢中でしたね。(笑)
転機は30歳を迎える頃でしたか、公務員やサラリーマンになった同級生たちが、皆歳相応に結婚し家庭を持ち、肩書きもついて自分の人生を一歩一歩築きつつある中で、その時の自分はというと、なにも確固たる存在価値がないことに気付いて愕然としたんです。生まれて初めて焦りましたね、これじゃいかん!って。それからですよ、とりあえず狭い日南にいても埒があかないと思い宮崎市に出てきたのは。
その頃は、なんとか生き延びなきゃという思いで毎日毎日懸命に働きました。明日なんか考えられなかったなぁ。太陽熱温水器の販売や当時はまだ珍しかったリサイクルショップを手がけましたが、どれもまだ宮崎では馴染みの薄い、先駆け的な分野でした。今でも覚えていますが、通りに捨ててあるテレビや洗濯機などの粗大ごみを拾って回るのが恥ずかしくてねぇ、人目の無い明け方を選んで回ったものです。
スナックをはじめたのもちょうどその頃で今から18年前です。訳ありの格安物件があったんで飲食業にもチャレンジしてみようと思い立ってやりました。たまたま弟が飲食店経営を先にやっていたこともきっかけのひとつでした。
当時1日の売上は7万円くらいでしたか、1年365日無休で営業しましたから、年商は約2500万。それから1年後に2軒目を開店して、3年目には5軒にまで増えていきました。世は正にバブルに沸きかえっていた頃です。



Q.宮崎の夜のラウンジ業界は、河野兄弟によってほぼ独占状態ですね。どのお店も黒字経営とのこと、人気のあるお店・儲かるお店の秘訣とは一体なんなのですか?


A. そうですね、一つだけ言えることは、このラウンジの商売は単純なマニュアルだけでは運営できないということですかね。だから逆に、コンビニ業界みたいに大手も参入してこないメリットもあります。もう一つは、やはり人材に尽きます。特に若い女性ホステスのやる気やモチベーションをどう引き出すか?このことは、毎日のお店の売上に直結しますからね。それを上手にコントロールできる店長やマネージャーの資質が一番問われるわけで、我々飲食業でも優秀な管理責任者を育成することが最大のカギです。
コンピュータによる数値管理にしても、一般企業以上に当社は充実しています。昨晩の売上の詳細なデータ分析などは当然のこと、しかし数字からは全てが分からないのがこの業界の難しさなんです。
接客サービス業の裏側は、非常に複雑な人間関係があって、日々生じるいろんな問題をどう円滑且つ迅速に解決するか、管理責任者の対応能力に全て掛かっています。現場ではイレギュラーなトラブルも多いだけに、前もってのマニュアルなど役に立たない、臨機応変な人間力こそが頼りの世界です。 口先だけの言葉による説得だけでは、従業員は就いてきません。若いホステスであっても、見くびってはいけない。彼女たちは接客業の中で、色々なことを学び、体験し人間を観察し続けている訳で、その点非常に大人です。相手の言葉の嘘やまやかしを簡単に見抜いてしまいます。
私が常々社員に教えることは、「人から信用・信頼される人間になること」。それがどんなに大切なことかを諭すだけです。あとは本人の意識次第でしょうか、そのためには今日何をすべきか?気付き、改め、実行する人間なら伸びるでしょうし、できない人間なら会社を去るはずです。
バブル絶頂の頃は、優秀な人材が少なくて経営者としては非常に苦しみました。世間にはいくらでも働き口があった時代ですから、我々の業界にはなかなかこれはと思うような人材が回ってこない。でも皮肉なことにバブルが弾けて状況が変わりました。良い人材が次々に入社してきたのです。 当社が、全従業員数800人の組織的企業体として大きく急成長した最大の理由は「バブルの崩壊」だったかもしれませんね。



Q. 宮崎の観光資源として、ニシタチ・中央通の果たす夜の経済効果は計り知れないものですが、バブル崩壊以降、繁華街は元気がなく寂れてきていますね。何か活性化のアイデアはありませんか?


A. 確かに、老舗といわれるクラブやバーが次々と姿を消していっていますね。官公庁の接待費削減などもの影響もあるのでしょうが、この20年ニシタチ・中央通は本質的に何も大きく変わってない気がします。例えば、福岡の中洲や鹿児島の天文館などは、夜の街がお客さんの志向に合わせてカテゴリー化されていますよね。サラリーマンや社用族のためのブロックであるとか、OLや若い女性向けのストリートだとか、学生専用の一角だとか。一方宮崎はごちゃ混ぜ状態というか、なんのコンセプトも打ち出せていないと思います。ニシタチと中央通の違いって何かありますか?
観光客にとっては、そうした猥雑さというかごちゃ混ぜ感が一つの魅力なのかもしれないので、簡単に良し悪しは決め付けられませんが・・・。
現在、宮崎の夜の繁華街が寂れてきたのは、不景気だけが原因ではないと思いますよ、街全体のイメージづくりや特色の差別化とかがないがしろにされてきたツケもきっとあるはずです。
2年後のイオン宮崎SCの開業が、決定的に宮崎の街を変えるはずです。現在の車社会の奔流からいっても、駐車場の無い市内中心部は郊外型ショッピングに取って代られ、昼間の中心市街地から夜の飲食・エンターテーメントゾーンへと街の性格付けが急変する可能性が高いと思います。
そうなれば、我々飲食業界全体のビジネスチャンスも新たな進展があるかもしれません。
飲食業界は、最も食うか食われるかの生存競争が熾烈な世界ですが、レジャークリエイトとしては、今後ラウンジ形態の新店舗を宮崎市内にオープンさせる計画はありません。
現在の資金力をもって、今まで培ってきたノウハウを基に、新たにラウンジをオープンさせればきっとそこそこ繁盛することは間違いないのですが、市場を独占することは避けたいのです。
個人規模で小さいキャパの飲食店を経営されている同業者に対する配慮を欠いてはならないという考え方は大事なことではないでしょうか?当社にはそれだけ大きな社会的責任も課せられていると思います。
替わって、これからは新しいコンセプトをもった居酒屋経営に乗り出します。近々、福岡に第1号店をオープンさせる予定で、来年には、宮崎にもお披露目できることでしょう。どうぞこちらもご贔屓に宜しくお願い致します。

※ ラウンジ:時間制の明朗会計システムによって、従来の高級クラブの差別的料金体系を庶民的なものにした。女性ホステスが必ず隣に座り、ローテーションによって入れ替わる。飲食業界の価格破壊であり、河野会長が「ラウンジ」という言葉の名付け親。